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2.あの日から

Auteur: 月山 歩
last update Date de publication: 2025-08-19 13:12:16

現実離れした悪夢のあの日から、マリウス様は私との一切の対話を拒み、ほとんど邸に戻らない。

戻ったとしても、夜遅くに帰宅し、寝ずに彼の帰りを待っていた私を決して中には入れず、彼専用の寝室に閉じこもった。

食事もその部屋で軽く済ませるようで、寝室から出てきたマリウス様に、どんなに話かけようとしても、彼は一度も目を合わせてはくれなかった。

そして、私の話を遮り、何も言わずに邸を後にする。

そんなマリウス様の私への態度に、次第に邸の者達は何が起きているのかを察し、私は使用人達の針のむしろのような視線に晒されている。

彼と結婚してから私を受け入れ、好意的に接してくれた侍女モニカや他の者達も途端によそよそしくなり、今では完全に避けられている。

誰も話してくれないし、世話もしてもらえず、気がついたら広い邸の中、一人ぼっちになっていた。

なので今は、自分専用の寝室に閉じこもる生活を送っている。

「チャベストさん、マリウス様にどうしても話がしたいと取り次いでほしいの。」

この邸の執事長であるチャベストさんに呼びかけ、なんとかこの誤解を解こうと思っていた。

彼はこの邸の中で、誰よりもマリウス様の信頼が厚い。

彼が力になってくれたら、マリウス様も聞く耳を持ってくれるかもしれない。

「恐れながら、サラ様、マリウス様をこれ以上追い詰めるのはお控えいただけませんか?」

「違うの、私が不貞したというのは誤解なの。

私は本当に何もしていないわ。」

「しかしながら、実際に二人が会っていた証拠もあり、ホルダー侯爵夫婦の離縁も事実だと…。」

「証拠は偽物よ。

ホルダー侯爵夫婦が離縁したのは本当だけれど。」

「私どもはサラ様のことを咎める立場にありません。

ただ、マリウス様は心労のため日々おやつれになりながらも、公務を果たしております。

今は静かに見守っていただくことはできませんか?

噂を耳にされたファーバー子爵様もマリウス様との面会を望んでおりますが、それすらお断りなさっているほどです。」

「お父様がこのことを知っているの?」

「すでに社交界にも、噂は出回っています。」 

「そんな…。」

「ですので、サラ様。

マリウス様のご指示通り、この邸の中で静かにお過ごしください。」

固い表情で私の目を見ようともしないで話すチャベストさんに、これ以上言っても何も変わらないと諦めが滲む。

どうして皆、私の言葉を信じようともせず、話すら聞いてくれないの?

私は嘘なんて一つもついていない。

本当にホルダー侯爵とは、ルヒィナ様が開かれるお茶会のために彼女の邸を訪れた時、たまたま顔を見合わせることがあれば、ご挨拶をする程度なのだ。

 確かに昔、夜会で出会ったホルダー侯爵が私に興味を示し、婚約を申し込んできたことはあった。

 でも、何度か言葉を交わすうちに、彼の中に見える束縛的な一面、例えば、出かける時は彼の許可をとってからとか、帰ったら必ず報告するなど、婚約中から必ず必要だと聞かされてからは、好きになれなくて、お父様を通して丁重にお断りした。

だから過去も今も、彼とはお話した程度なのは変わりない。

もちろん今も、決して愛しているとか、男女の仲などということは一切ないし、キスを交わしたことすらない。

それなのに、まるで事実であるかのように、ホルダー侯爵が「愛し合っている。」などとマリウス様にいう意味が全くわからない。

今すぐにでも彼の元へ赴き、どうしてそんな嘘を並べ立てるのか、何を思って私とマリウス様の仲を裂こうとしているのか、その真意を問いただしたい。

けれども、マリウス様に邸を出ることも、ホルダー侯爵と接触することも、すべて禁止されている。

もしそれを破ってしまったら、マリウス様と話し合う機会さえも失い、このまま離縁されてしまうことが怖くて動けない。

だから私は、せめて今できることをしようと決め、マリウス様とお父様にお手紙をしたためた。

今回の件はホルダー侯爵による捏造で、私には何のやましさもないこと。

 どうか一度、きちんと話をさせてほしいということを、心を込めて書き記した。

 …けれど、どちらからも返事はなかった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

サラからの手紙を読んだマリウスは、無言のままそれを引き裂き、手の中でくしゃくしゃに丸め、無造作に彼の寝室のゴミ箱へと放る。

もう、サラが信じられない。

ホルダー侯爵が現れるまでは、お互いを深く想い合っていると思っていたし、その愛を疑うこともなかった。

けれど現実は大きく違った。

サラは一年もの間、「お茶会へ行く。」といっては、あの男と陰で会っていたという。

ホルダー侯爵の日記帳には、その時の彼女のようすが細部まで書かれており、その日彼女が着ていたドレスの色、会話の内容、その日どのように愛し合ったかなどすべてが書かれてあった。

日常の何げない会話は、とても信憑性が高い。

彼女がどんな人物であるかを、僕と同等、いやそれ以上によくわかっている者の記録だと思える内容で、簡単に偽造されたと言えるものではなかった。

そして、何よりも僕の心に突き刺さったのは、おそらく、彼女自身ですら気づいていない背中の中心にあるほくろの存在を、あの男が知っていた事実だった。

僕も愛し合う時はいつもあのほくろを愛でていたのだ。

あの男のように。

だけどそれは、僕しか知らないはずの彼女の秘密だったはずだ。

そのことを耳にした瞬間、僕の中の何かがはっきりと壊れて、今でもその部分に自分ですら触れることはできない。

もしそこに触れてしまったら、彼女を手放すことでしか僕の心の均衡は保たれないし、僕達の行く先に二人でいる未来は存在しない。

それがわかっているから、僕は逃げるように今だに彼女に向き合おうとせずにいる。

裏切りを認めようとしない嘘つきの彼女に、僕は今でも何を求めているのだろう。

答えが見つからないまま、今夜もこの冷え切った一人きりの寝室で目を閉じる。

いつか僕に、彼女を信じていたあの頃のような想いで、穏やかに眠れる夜が訪れるのだろうか?

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